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11

12

23:53

たったか

某さん、こんばんは。

普通の小学生には周りの事情に思いを巡らせたり
大人が発する言葉の裏の(真の?)意図を読み取るなんて難しいと思いますよ。
多分自分を中心にした狭い世界しか知らないから
自分と違う状況・境遇を理解しきれないんでしょうね。

だから
>当時、俺だけがわかっていなかった。
>昔から俺はバカだった。
なんて思わないで。

双方の親御さんは
子供達が仲良くしてれば
それで良かったんだと思いますよ。

11

13

01:45

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11

13

01:59

よれよれの某

みなさん こんにちは。

最近ふとした瞬間に子供の頃を
よく思い出すようになりました。

ここ最近のことは適当に忘れて
しまってるのにw

小学生から高校生にかけての断片的
な思い出が、結構強烈に匂いを
伴うぐらいによみがえってきます。

何なんでしょうか?
みなさんもそういう経験あります?
思い出そうとしてるわけでもないのに
唐突に記憶が蘇ってくるって感じ。

そこに何らかの意味性や象徴性を
見出すことも可能なのでしょうか?
あまり頭もよくないのでそういうことは
わかりません。

残念ながら数年前に母は他界いたしました。
様々な思いを確認することも、
意味を問うこともかないません。

ですから、少し書いてみました。

11

13

15:43

恭介

アメリカ人から見たら、日本の手間をかけた子供の弁当が信じられないらしい。

むかし、上司の愛妻弁当を今日は食べてくれとよく渡された。
上司は外食に誘われたり、単に弁当に飽きたときに、処理を俺に頼むわけ。
なんとなく複雑な気分だった。

11

14

00:59

よれよれの某

2度目のおはよう。

俺なら食わないと思いますね。
上司でも要りませんって断っちゃいます。
あるいは、神様ごめんなさいって言って
中身だけ捨ててしまうと思う。
上司に気があるとかないとかそういう
ことではなくて。

11

14

09:34

TOSHI

はじめまして。

最近某さんのブログを知りました。
幾日か分けて過去の記事を読んでまいりました。
特にこの子供の頃のよれよれの某さんのお話に感動しました。
PCの前で本当に泣いてしまいました。
すばらしいお話を読むことできて、なんとかこの気持ちを伝えたいのですが、あまり文章もうまくないので、失礼いたしました。
これからも時々お邪魔したいと思います。

07

09

14:08

よれよれの某

TOSHIさん こんばんは。

ありがとうございます。
なんかこそばゆいですが、子供の頃の
某君は一生懸命でかわいいと自分でも
思います。
今と大違いw

これからもよろしくお願いいたします。

07

10

00:48

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12

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お弁当に託したもの

俺の母の弁当は徹底的に手を抜くことが多かった。

例えば弁当箱にご飯をしきつめてその上に
うなぎの蒲焼のみをドンって乗ってるだけだったりw
あるときはおかずのふたをパカってあけたら切り干し大根の
炊いたん(京都弁?)のみがぎっしりつまってたり。
ふたを開けるたびに結構ドキドキしたりしたもんだ。
今日はあたりかな?はずれかな?
それでもたまの母の手作り弁当ってのは子供ながら嬉しかった。
色々な事情もあり、手抜きなのはある意味仕方がなかった。
手抜きという言葉自体、母は悲しんだかもしれない。
だから文句は言わなかった。

小学5年の遠足、ただ一度だけを除いて。

うちの小学校では適応遠足という年に1回、山登りだけの行事があった。
ちょうど秋と冬の間ぐらいの時期。
遠足というハレのイベントからは程遠い、近所の山に全校生徒で
ただ登って弁当食って下りてくるだけというすこぶる子供たち
には不評な行事だった。
学年ごとにレベルは高くなり低学年は3合目まで、高学年は頂上まで
登ることになる。自分のペースで登ることという大前提が
あったので特にグループ決めもなく各自好きなように登っていった。

その遠足の前の日。
母から驚きの報告を受ける。
「明日のお弁当、石田君のお母さんがあんたの分も一緒に作ってくれるって」
「え?なんで石田君?」
「一緒に登る約束したんやろ。1個作るのも2個作るのも、変わらんから
 うちんとこの分も作ってあげるってさっき石田さんが言いにきはった。
 せっかくなんでおおきにって言ってお願いしておいたわ」
「そんなん迷惑なん決まってるやんか。何他人に甘えてんねんな。
 社交辞令ってやつやろ?恥ずかしいからそんなんやめとけや」
「そやかて、お母ちゃんも朝しんどいし、ラッキーってとこやわ」
「あほ!子供の弁当ぐらい作れや。よう作らんにゃったら俺が作るわ。
 早よ電話して断って」
「いいから、明日は石田君と一緒のお弁当食べなさい。な?またお母ちゃんの
 お弁当は食べられるやろ」
「意味がわからんわ。もういらん。明日は弁当食べへん」

確かに石田君は仲のいい友達だった。
同じクラスだった俺と石田君は結構趣味が良くあい、
彼の家に遊びに行っては一緒に合作の長編SF漫画を作っていた。
コロコロコミック連載中の「ハムサラダくん」に影響を受け、
俺らも合作して漫画を作ろうとがんばっていたのだ。
役割分担はストーリーは俺が考えて、彼が絵を描いた。
俺も時々やめればいいのに自慢の絵を書いた。
その絵を見ては二人で大笑いした。
「某君、それじゃその鳥は飛ばないよ」なんて言われたりした。
「ううむ」と唸りながら悪戦苦闘して、また鳥らしきものを書いては
笑われた。俺も自分の絵をみて笑った。
石田君は描くのは遅いが、とてもいい絵を描いた。

石田君のお母さんはとても優しい人だった。
俺が遊びに行くと3時にはちゃんと手作りのお菓子と紅茶を用意してくれた。
ホームドラマの世界みたいだと子供ながらよく思った。
うちなんかせいぜい麦茶とかっぱえびせんだもんな。

確かに石田君と仲はよかったが、弁当を頼むなんて話は別だ。
元々俺の家はおかしな家だったが、ここまで無神経だったのか。
母に対し怒り心頭に発し、その日は口もきかずに布団にもぐりこんだ。

適応遠足当日。
朝早く起きる。
母はちゃんとおきて朝ごはんを作っていた。
めずらしい。
ちゃんと起きてるなら弁当作れよと又腹が立ってくる。
「ちゃんと石田君と一緒に登るのよ」とでがけに声をかけてくる。
腹が立ってるから「いってきます」とだけ言い捨てて家をでた。

通学路の途中にある石田君の家に向かう足取りは重かった。

石田君はもう玄関で待っていた。「お母さん、某君着たでぇ」と
家の中に声をかける。
石田君のお母さん「はいはいはい」といいながら出てきた。
その手には母が前日に渡しておいた俺の弁当箱が握られていた。
「某君、えびが好きだってお母さんから聞いてたからえびフライ
入れといたからね。」
余計なことを。顔が赤くなる。どこまで図々しいんだ。
「某君、お願いね。うちのよろしく頼むね」と弁当を手渡された。
うんと頷ずき、リュックに弁当を乱暴に押し込んで、礼も言わずに
石田君の手をひいて歩き始めた。

道すがら又腹が立ってくる。
兄弟でもないのに一緒の弁当なんて変だ。
うちの親は何もわかっていない。みんな自分の親がこさえた弁当を
持ってきている。
俺だけが他人にお願いして作ってもらった弁当だ。
これなら手抜きの弁当の方がましだ。
えびフライが好きなんて言うなよ。恥ずかしい。

知らずに足が早くなってきたようだ、石田君が少し遅れる。
手を握りなおして、また少しゆっくり歩く。
「某君、なんか怒ってる?」
「別に」
「・・・・・」
「・・・・・」
「某君、今度な、もっと大きな画用紙に漫画書こう」
「・・・もっと大きな?」
「うん、こんどお父さんが買ってくるって。今自由帳にかいてるやんか。
 あんなん違てもっと大きな紙に、でっかい宇宙船描こう」
「スターウォーズみたいな?」
「うんうん。デススターみたいな」
そんな話をしているうちに俺の機嫌も直ってしまった。
ぺちゃくちゃ話しながら、ゆっくりと山登りをし、弁当を一緒に食べ
誰よりも一番最後に先生と石田君と一緒に山道を降りた。


今になってみれば、母の気持ちも、石田君のお母さんの気持ちもわかる。
石田君の気持ちまで分かる。
当時、俺だけがわかっていなかった。
昔から俺はバカだった。
石田君は生まれつき足が悪く、右足をいつも引きずって歩いていた。
石田君が転校してきた日に母にそれを告げると、登下校のときできるだけ
手をつないであげなと言われた。
恥ずかしくなんかない。友達だろ?といわれた。
そうしてできるだけ一緒に手をつないで通っていた。
いつしかそれは当たり前になっていた。
だから遠足のときも別に何も考えてはいなかった。
山登りだ。
ハイキングコースとはいえ、坂道が続く。
足の悪い石田君にはツライ道のりだろう。
欠席という選択肢も、もしかしたら考えたのかもしれない。

そういえば「石田君一緒に登ろう」と俺から声をかけた。

うちの子をお願いねという意味のお弁当だったのだろう。
きっと山登りになれば周りに迷惑をかけるに違いない。
本当はお母さんも一緒についていきたいぐらいだったと思う。
でも、きっとその気持ちをぐっと堪えた。
そして小学5年生の俺にそれを託したのだ。

前日にうちの家に挨拶にきた。
せっかくだから某君の分のお弁当も作らせてほしいと石田君のお母さんから申し出があったのだろう。

母はその気持ちを汲んだ。
そして息子の弁当箱を石田君のお母さんに託した。
弁当作りが面倒なのではなかった。

そして母は弁当を作れない、だからせめてと思い、
朝早くおきて朝ごはんを用意したのだ。
そして何度も石田君を頼むねと俺に念を押した。

石田君もわかっていた。ツライと分かっていたと思う。
でも一緒に行きたかった。
一緒に遠足に行きたかった。
行こうねと誘われたから。俺の左手にその思いを託した。

それぞれがいろんな思いを託したのだ。
今ならそういうことが分かる。

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たったか

某さん、こんばんは。

普通の小学生には周りの事情に思いを巡らせたり
大人が発する言葉の裏の(真の?)意図を読み取るなんて難しいと思いますよ。
多分自分を中心にした狭い世界しか知らないから
自分と違う状況・境遇を理解しきれないんでしょうね。

だから
>当時、俺だけがわかっていなかった。
>昔から俺はバカだった。
なんて思わないで。

双方の親御さんは
子供達が仲良くしてれば
それで良かったんだと思いますよ。

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11

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01:59

よれよれの某

みなさん こんにちは。

最近ふとした瞬間に子供の頃を
よく思い出すようになりました。

ここ最近のことは適当に忘れて
しまってるのにw

小学生から高校生にかけての断片的
な思い出が、結構強烈に匂いを
伴うぐらいによみがえってきます。

何なんでしょうか?
みなさんもそういう経験あります?
思い出そうとしてるわけでもないのに
唐突に記憶が蘇ってくるって感じ。

そこに何らかの意味性や象徴性を
見出すことも可能なのでしょうか?
あまり頭もよくないのでそういうことは
わかりません。

残念ながら数年前に母は他界いたしました。
様々な思いを確認することも、
意味を問うこともかないません。

ですから、少し書いてみました。

11

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15:43

恭介

アメリカ人から見たら、日本の手間をかけた子供の弁当が信じられないらしい。

むかし、上司の愛妻弁当を今日は食べてくれとよく渡された。
上司は外食に誘われたり、単に弁当に飽きたときに、処理を俺に頼むわけ。
なんとなく複雑な気分だった。

11

14

00:59

よれよれの某

2度目のおはよう。

俺なら食わないと思いますね。
上司でも要りませんって断っちゃいます。
あるいは、神様ごめんなさいって言って
中身だけ捨ててしまうと思う。
上司に気があるとかないとかそういう
ことではなくて。

11

14

09:34

TOSHI

はじめまして。

最近某さんのブログを知りました。
幾日か分けて過去の記事を読んでまいりました。
特にこの子供の頃のよれよれの某さんのお話に感動しました。
PCの前で本当に泣いてしまいました。
すばらしいお話を読むことできて、なんとかこの気持ちを伝えたいのですが、あまり文章もうまくないので、失礼いたしました。
これからも時々お邪魔したいと思います。

07

09

14:08

よれよれの某

TOSHIさん こんばんは。

ありがとうございます。
なんかこそばゆいですが、子供の頃の
某君は一生懸命でかわいいと自分でも
思います。
今と大違いw

これからもよろしくお願いいたします。

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(yore)2BOW

Author:(yore)2BOW
桜田淳子「20歳になれば」の替え歌で

まってください 44歳になるまで
まだ言わないで さよならだけは
まってください 読者の興味
はなれたことは わかってるけど

更新するわ なるべくするわ
43歳のうちに 43歳のうちに

44歳になれば 体重減らす
ユニクロで服が買えるぐらいに
44歳になれば 彼氏をつくる
無理じゃないよね?多分多分w

ラララララララ・・・

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