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父親~前編~

父親についてはあまりここでは書けないというか、
無意識的に書かないようにしていたような気がする。
劣悪な家庭環境のパターンとして(もちろん幸せで円満な
生活を送っていらっしゃる方も少なくないとは思いますが)
父親の不在、もしくは無職の父親の存在というものが
大きな影を落とすことは容易に想像がつくと思う。

俺の本当の父親については以前チラッと書いたこともあるけど
お茶屋を経営しているボンボンだったらしい。
写真でしか見たこともなく(なかなかイケテル恰幅のいい男前でした)
もちろん会ったこともないので語ることが、あまりない。

俺が小学生に入学したとき、ソイツは俺の前にやってきた。
「今日からおじさんではなく父さんと呼べ」と威圧的に言ってきた。
俺の子供時代はソイツとの戦いの日々だったと言っても
決して過言ではないと思う。
ソイツは無職の下っ端のチンピラだった。
俺はその日から今で言う虐待の対象になった。
チンピラやくざでもそこそこのクラスならそれなりの金も入り、
それなりの暮らしもできるのだろうが、
所詮ボンクラのやくざ風情にはたいした金など回ってこない。
仕事というよりも雑用ばかりで、事務所の泊まり番、徹夜の麻雀、
競馬のノミ行為だけが仕事(と呼んでいいのか?)すべてだったんじゃなかろうか?
土曜日は最悪だった。
学校から帰ってくると、遊びに行くことも許されず、
電話の前に座らされて、
「1-4 30、3-6 80、山田さんですね。」という電話番をさせられた。
意味わかります?
小学生の時から、犯罪の片棒を担がされていたのだ。

結局生活のためには、母親が働きに出るしかなくなってくる。
母親は水商売の才能があったらしく、小さなスナックの経営を
はじめ、そこそこの収入を得ることができていたように思う。
夜になると母親は化粧をし、綺麗な服に着替えてタクシーで出勤する。
アイツがいなければ、一人でそれなりに生活するのだが、
いる時には夜は長く、暴力に怯える時間が始まる。

例えば風呂を沸かせと言われる。
昔はガスの元栓が外にあったりして裏庭に出なくてはいけなかった。
俺が外に出たのを見はからって、裏庭の戸口の鍵をかけ俺を締め出す。
玄関から締め出せば人の目もあり、近所の人たちに見つかる恐れも
あるが、裏庭でいくら泣こうが喚こうがそこまで他人は介入してこない。
泣けば泣いたでうるさいと殴られ、黙って戸が開くのをじっと待っていれば
風呂のひとつも満足に沸かせないのかと殴られた。

例えば、夜に車で連れ出され、おもちゃ屋で好きなおもちゃを選べといわれる。
珍しくおもちゃを買ってくれるのかと思い、1つ選ぶ。
1つじゃなくて5つぐらい選んでもいいんだぞと言われ、
タイムボカンの超合金や、人生ゲームなどをさらに選ぶ。
しかし、そのおもちゃは俺の手元には来ない。
昔別れた奥さんの子供へのプレゼントとしてそのまま持っていってしまうのだ。
「なんで、お前みたいな奴に買わなあかんね、あほらしい」という
捨て台詞だけは頂戴したけれど。
子供ながらに、この行為は殴られるよりもきつかった。
選ぶだけ選ばしておいて、それをとりあげるようなことをされれば
本当にどうにかなるぐらい悲しくなってしまう。

競馬ブックを買いに行くのも俺の仕事だった。
普通、小学生に競馬の新聞なんか買いに行かせます?w
ある日、競馬ブックという雑誌(同じ名前で新聞と雑誌があったんですよ)
を買って帰ったら、満足に買い物もできないアホだとののしられ、
ゴルフクラブで背中をなぐられたこともあった。

だんだん家では笑わない子になっていった。
学校や外では明るいいい子だっただろうけど、
家では暴力に萎縮し何も望まない、何も話さない。
あるいは顔色を伺って、この言葉を言っても大丈夫なんだろうか?
このかっぱえびせんを今食べてもなぐられないのだろうか?という
ことばかり考えているようになっていった。
小学2年生になると小児喘息を患うようになった。
風邪を引くと必ず喘息も併発し、呼吸が苦しく、夜中に眠ることもできないよう
になってしまった。
喘息の声がうるさいと殴られ、布団にもぐりこみながら必死で息をしないように
苦労したことも覚えている。

その他、ここには書けないようないろいろなことをされたけれど
それはいつしか、澱のように心の奥底にたまっていき、
そいつへの憎しみばかりが育っていった。

でも小学校高学年になるころに俺は変わった。
怯えて暮らすことにだんだん我慢ができなくなってきたのだ。
なんで、俺がいじめられなくちゃならないんだ?
俺が何をした?
少林寺拳法を習いだした。強くなりたいと思った。
進学塾に通わせてもらった。賢くなりたいと思った。
ソイツは俺が習い事をすることにいい顔はしなかったけれど
母は俺がやりたいと言ったことはなんでもさせてくれた。

中学生になると喘息はぴたっと止まった。
少林寺拳法のおかげで体力がついたからと周りは思っていたようだが
俺はたぶん、強くなることで精神的な作用が働いたからだと自己分析していた。
そして、俺はソイツに反抗するようになった。
ぐれると言うのとは少し違う。
不良になったり、そういう逃避行動にはなぜだか走らなかった。
俺は徹底的に、ソイツと戦うことを選んだ。
「ヒモ風情が偉そうな口きくなや。子供殴る暇あったら千円でも稼いでこいや」
それぐらいは言い返せるようになった。

それでもなんだかやりきれなくなって、ラジオとタバコと文庫本を持って
夜中に公園や河原で一人過ごすことも多かったけれど。

あるとき、たんすの引き出しの奥に新聞紙に包まれたピストルを見つけた。
おいおい、ここまでヤクザにどっぷりはまってるのかよw
驚くよりも呆れた。
チンピラどまりでいてればいいものを。
新聞紙を広げ、中のピストルを取り出してみた。
冷たくて、重たくて、こいつは確かに武器なんだなという説得力があった。
撃ってしまおうかと突然思った。その誘惑はあまりにも魅力的だった。
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(yore)2BOW

Author:(yore)2BOW
桜田淳子「20歳になれば」の替え歌で

まってください 44歳になるまで
まだ言わないで さよならだけは
まってください 読者の興味
はなれたことは わかってるけど

更新するわ なるべくするわ
43歳のうちに 43歳のうちに

44歳になれば 体重減らす
ユニクロで服が買えるぐらいに
44歳になれば 彼氏をつくる
無理じゃないよね?多分多分w

ラララララララ・・・

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